握手会について思うこと…アイドルとオタクの距離
巷でファンの言動について物議を醸している。
Twitterで誰かが言い放っていた、「アイドルはファンを選べない」という言葉がひどく印象に残った。
詳細を追っているわけではないので、あまり突っ込んだことは言えないが、私アイドルとファンの関係は“言葉”で成り立っていると思っている。
握手会は触れ合うことが肝なのではなく、言葉のキャッチボールをする場だ(たまに投げたボールが返ってくる前に剥がされることもあるが)。何年通いつめても、どれだけの枚数を投資しても、週に1.2回数十秒しか話せない。
オタクには様々な形がある。崇拝、ガチ恋、友達、親目線…。なにか一つをとって否定するつもりはまったくないし、色んな応援の仕方があるのがアイドルの面白さだと思う。ただ、一つだけ絶対に忘れてはいけないことがある。
あくまでも相手はアイドルだということ。
友達ではなく、友達みたいなアイドル。娘ではなく、娘みたいなアイドル。彼女ではなく、彼女みたいなアイドル。正直、お互い知らないことばかりだ。推しがどこに住んでいて、プライベートで何をしているかなんてまったくわからない。ましてや、こちらの情報なんてほとんど相手は知らない。私たちが、推しから発信される情報しか知ることができないように、推しもこちらが発信する情報しかしらない。
私たちがコミュニケーションをとれるのは、お金を払って確保した、切り取られた数秒間の空間だけだ。
私たちは、テレビで、SNSで、イベントで長い時間推しを追っている。だからこそ、「今日は機嫌悪いな」「緊張しているときこういうしぐさをするのが癖だな」とか、なんとなく推しの言動がわかってくる。だから、たとえば珠理奈が全然話を聞いているようにみえなくても、「ああ、今の部はおねむたんなんだな」と理解できるように。それはある程度の流れの中で推しを見ることができているからだ。しかし、推しは私たちのことを数秒間の握手の時間でしか見ることができない。つまり、数秒間の中でオタクが放った言葉のバックグラウンドがわからないわけだ。長い付き合いのオタクは多少なりとも理解されているのかもしれないが、普通は言葉の真意がわからない。推しにとっては、言葉の意味がそのまま伝わる。普段の口癖で放った言葉に深い意味はなくても、相手はそのまま辞書にある無機質な意味のまま捉えることしかできない。
だからこそ、“心無い言葉”として届いてしまう。
もしかしたら、冗談のつもりだったかもしれないし、会場に来る前に少し嫌なことがあって言葉を間違えてしまったのかもしれない。でも、相手はその言葉の意味を補完するほど私たちの人となりを知らない。友人だったら「こういう奴だから」「こういう性格だから」と、自分が知っている予備情報で言葉の意味を再認識できるが、アイドルとオタクの関係ではそれが十分にできない。
だから、アイドルを友達だと思ってはいけない。友達みたいに話せるけどアイドルという認識があれば、心無い言葉をぶつけるオタクも少しは減るんじゃないか。
心無い言葉をぶつけるオタクのほとんどは、悪意なくやっているオタクだと思う。アイドルとオタクの距離感をはき違え、言葉選びを間違えているオタクがほとんどだ。本気で悪意を持ってレーンに並ぶオタクはもう出禁にするしかない。
私たちには握手会に行くまでのストーリーがあり流れがある。会場で知り合いと落ち合い、ともにレーンに並び、遠くから推しを眺めながら待つ。しかし、アイドルにとっては毎秒毎秒が別の世界だ。「◯枚です」から「お時間です」までの数秒間で初めてお互いが時間を共有でき、アイドルとオタクとして、言葉を交わせる。
アイドルがオタクのことを特別な存在だと思うのはいいが、オタクは自分たちが特別な存在と思ってはいけない。アイドルということを、忘れてはいけない。
言葉選びももちろんだけど、自分の立場をもう一度考え直していくべきだなと思ったという話です。
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